「残像に口紅を」

「この文章で著者はどういう気持ちを表現したかったのでしょうか?」
日本人は、そんな質問を義務教育時代に幾度と無く聞かれており、その質問に答えているうちに、大抵の文章とか創作物には著者の気持ち、登場人物の気持ちが入っていないとダメな文章だと思ってしまうようになっている。
けれど、創作物とはそういうものばかりではなく、いわゆる、文章や言葉、表現媒体そのものを楽しむための創作物も存在する。
そのような表現に果敢にトライし、上質の作品を生み出し続けているのは、筒井康隆の他にいないといってもいいだろう。

彼の作品の中でも強烈に実験要素を前面に出してきているのがこの作品「残像に口紅を」だ。
日本語は、すべてひらがなにひらくことが出来る。そのひらがなを一つ一つ消していく。消えた文字を含む言葉は使えず、その言葉が示すものも存在を失う。
そんなルールを守りつつ、作品としての文章表現が可能なのか?という問いに対する答えがこの作品だ。

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

物語は、いきなり一つの文字が無い状態から始まる。
それは小説家、佐治勝夫の視点で描かれ、まず友人、津田と内容について話しつつ、ルールを読者に説明する章で始まる。
そしていつしか、彼の作品と本著が同一の作品として展開していくメタ小説となる。
中盤、文字は少しずつなくなり続けるが、それだけでは小説として面白くないので、小説家として話も進めなければいけないという問題に苦悩したり、そういうところに面白さを生み出しているところなど、さすが筒井と思わせる。
しかし個人的には、後半四分の一部分の話の流れがいまいちに感じられた。クライマックスでドタバタするのはわかるが少々詩的過ぎるのではないかと思ったのだ。文字数を考えるとしょうがなくも思えるが。おそらく想像以上に大変な創造作業なのだろう。
巻末の解説には、東京女子大教授の水谷静夫氏とその生徒による本作品をテーマにした卒業論文が載せられており、そこでは実はいくつかのルール違反が行われていたことが判明している。
それは再度読むときには楽しみの一つとなるかもしれないし、初めから読む人にとっては間違い探しの要素として楽しめるだろう。
この文字が消えていく仕組みの内容も面白いのだが、各章間の山本ジョージ氏による扉絵もとてもいい。動物が自身の名前で構成され、それが消えていく、という絵で、それもなかなか難しい創作だと思われる。
実験小説というものを読みたい人にはオススメの一冊です。
最後に冒頭の佐治と津田のやり取りを引用して終わります。

「言うまでもないだろ。記号としての言語が表現する意味内容なんて、実にいい加減なもんだ。ぼくが言ってるのは当然『記号内容』ではなくて『記号表現』だよ」
「君は、ただのことばに感情移入できるかい。たいていの人は、そのことばに感情を動かされるんじゃなくて、そのことばが示しているイメージに感情を動かされるものだがね。抽象的なことばは別としてだが」
「うーん。そこまで言われると、ちょっとねえ」佐治はさすがに断言をためらった。

ちなみにこの感想文でもタイトルの通り1文字だけ意識して消してみました。1文字程度なら比較的楽に文章を書けるが、本当に抜けていないかどうかを調べるのは結構面倒な作業だとわかった。漢字の対応が検索では簡単にいかないので、ひらがなにひらいたテキストを用意しておく必要を感じる。