「父性の誕生」

父性とは

前回読んだ「父親の力 母親の力」で、父性について河合隼雄は次のように書いている。

日本では伝統的に、原理としての父性はとても弱かった。原理としての父性と、父親が怖いというのとはべつの話で、日本の父親はいばってはいたけれど、父性原理はずっと弱いものでした。
「父親の力 母親の力」p.86

父性とはなにか?と考えさせられたし、考えても分からない。
母性という言葉は自分でも「母性本能」という言葉を使ったりしたことがあるように何となく分かっているつもりだ。しかし、それに対する父性と言う言葉、真剣に考えると全く分からない。
そんなことを思っているときにBOOKOFFで出会った本が本書だ。著者が「リング」「らせん」などを書いた鈴木光司、というのも興味深いので、買ってみたのでした。

父性の誕生 (角川oneテーマ21 (A-1))

父性の誕生 (角川oneテーマ21 (A-1))

あれ?

読み終えての率直な感想は、「ちょっとがっかり」。
日本の歴史には父性がなかった、ということから話がはじまっていき、それはそれで興味深いのだが、どんどん横道にそれていく。ようやく横道から戻ってきたかと思ったら、自分は育児をしながら新しい父性を模索している、そんな自分を見習え、的な論調になり、それが最後まで行ってしまうので、残念でした。
確かに身をもって体験したことをベースにすることは大事なことだとは思うのだが、それをそのまま臆面もなく結論に結びつけるとどうも短絡的に感じてしまうのです。
特に後半では「父性」について語っているはずなのに、いつのまにか「男性性」を語っているのが顕著になってしまっている。最後の第8章は以下のような言葉で結ばれている。

この人と結婚してよかったと思わせる男が、もっともっと増えてほしい。
愛する人と船出すれば、一人で航海するより何倍も心躍る経験となる。
究極のマッチョとは、女性をその桎梏から解き放ち、彼女たちをも自由にする。マッチョを突き詰めれば、必ずフェミニズムにゆきつく。これは僕の持論だが、新しい男らしさの概念を獲得した男性は、より魅力的な女性をも同時に獲得していくに違いない。

とまぁ、こんな感じで、ズレたまま熱弁して終っているのだ。

自分で考えた父性

こんな感じのタイトルとズレが大きい内容だと途中から気づいたので、読みながら自分なりに母性と父性を表す言葉を考えてみました。それは次のようになります。

「子を守る」…母性性
「子に自らを守る力を与える」…父性性

このように一度具体的な言葉に落として、前提として読んでいたら何となくいろいろと当てはまることが多い感じなので、とりあえずしばらくはこの方向で「父性」に対する考えを進めてみることにしたいと思います。
ただ、別に父親は父性性のみ持っていればいい、ということではないので、注意が必要ですね。

参考資料として

このように本書は「父性」を考えるための「参考書」として読むのがいいかと思います。