「美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」

amazonで購入していた「美学vs.実利」を読み終えました。

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)

そのタイトルからSONYプレイステーションとの対立に関する話、かと思っていましたが、結構違っていて、久夛良木氏がプレイステーションにかけた15年を書いた本である。
久夛良木氏のソニーでのキャリアと、プレイステーションプロジェクトの現在までの全貌がとてもよく分かる。
それは外側からの評判や印象をうまく捉えつつも内部事情に詳しい西田氏だから出来たのだろうなー、と思う。

エンジニアの喜び

本書では、久夛良木氏の言葉だけではなく、周囲のエンジニアや様々な人の言葉も織り交ぜている。
とても印象的でエンジニアとして共感を覚えた言葉があった。(p.122)

筆者は、ある大手自動車メーカーのエンジニアに、こんな話を聞いたことがある。
エンジニアにとってある意味で快感な瞬間は、トラブルの際、前もって考えておいた開発プランを、「こんなこともあるかと」と言いながら取り出すときにある…と。

PS2開発時にPS1互換機能を実現出来たのは、バックアッププランがいろいろ動いていたからだ、というエピソードを裏付ける話として引用している言葉だ。

適切な評価

本書のタイトルで明らかにしているように、プレイステーションのライバルは明らかに任天堂製品だ。その一つニンテンドーDSについても西田氏は、適切に評価していると思う。
それが顕著に出ている表現がp.259の次の文章だ。

脳トレの成功は、ニンテンドーDSの市場に新しい潮流を生み出した。純粋なゲームでなくても売れるということが証明された結果、市場には、さまざまな知育系ソフトが登場することになる。英語学習に「常識力」学習、料理レシピに美容ガイド、果ては塗り絵まで……。とてもゲーム機とは思えないほどのバリエーションだ。
このことは、ニンテンドーDSが、ゲーム機から、「汎用小型コンピュータ」へと脱皮しはじめたことを示している。元々この方向性は、久夛良木を中心とするSCE技術陣が求めてやまないものだった。

DSをゲーム機としたコンピュータ「汎用小型コンピュータ」と言い切るのは、ちょっとショックなほどの表現。しかし考えてみれば確かにそうなってきている。
PSPを汎用小型コンピュータにすべくSONYが行ったのは「様々な処理を行えるような内部構造」を整えること。DSを汎用処理に耐えうるようすべく任天堂が行ったのは「様々な処理を入力できるようなインターフェイス」を整えること。つまりこの差だと思う。
考えてみれば当たり前なのだが、様々な処理を行えるようにするためには、様々な処理を入力できる必要だったのだ。PSPにはそういう処理のために端子が準備されているのだが基本的にはボタンとレバーしかない。一方DSは最初からボタンの他にタッチペン、マイクという入力を備えている。さらには画面も2画面あり、アウトプット要素も多い。

プレイステーション

このように様々な視点を持つ著者が書くプレイステーションヒストリーはとても興味深い。
むしろちょっと悲観的に見ていた私でも、そんなに情熱が注がれたPSPPS3ならちょっと買ってみようかな、と思うくらい熱いメッセージがこめられている。
それは久夛良木氏からプレイステーションにこめられたメッセージだ。現在SONY久夛良木氏がいない今、熱いメッセージは届かなくなりつつある。だからこそ本書が書かれたのかもしれない。
プレイステーションとはいったい何なのか?それを知るためには本書は必読である。