「スーパーコンピューターを20万円で創る」

どこかのblogで見て(そのblogは失念)気になっていた本。1989年に東大でつくられたスーパーコンピュータは20万円だった、という話。そのスーパーコンピュータとはどういうものか、ということや、開発背景を知りたくなってamazonで購入しました。

スーパーコンピューターを20万円で創る (集英社新書)

スーパーコンピューターを20万円で創る (集英社新書)

ちょっと長い説明

第二章までは超高速な専用コンピュータが必要となる背景として、ドラマの舞台となる東大、そしてその研究分野である天文学、チームの人が集まってくる様子が長々と書かれている。正直、ちょっとここは読むのがつらくなる。
東大の駒場キャンパスと本郷キャンパスの違いとか、伊藤が研究に入ることになった流れを説明しているのだが、ちょっとくどいのだ。そこまで詳しく書かなくてもいいような気もする。しかしまぁ、自伝的なものと捕らえれば納得がいく。そのためにもこの本は別に三人称で書かなくても良かったのでは?と思うのだ。
しかし、それだけ説明した甲斐があったのか、第三章からはコンピュータ制作に取り掛かるところになるからなのか、読みやすくなる。
成果が目に見え始めるとまた違った楽しさが見えてくるのは、この本も、実際の研究も同じである。

生々しい表現がいい

まえがきで、筆者はこう書いている。

ノンフィクションのエンターテイメント性を失わないように、本文中では「私」等の一人称は使わずに、プロジェクトチームのほかの人たちと同様に、すべて氏名(三人称・敬称略)で記述した。

とうことで、筆者自身のことを伊藤と称しているのだが、前書きの宣言ほど客観的な視点ではなく、非常に泥臭く、生々しい感情が書かれている部分がある。その様々な感情がそのままにじみ出ていていることは本書の魅力でもある。
特に「開発者の胸中(p158)」という章が面白い。ちょっと長いが引用させてもらう。

伊藤の「GRAPE-1を作るのは簡単だった」とうい言葉は、GRAPEプロジェクトの内部の人たちにさえ文字通りに受け取られてしまう。
「GRAPE-1は簡単だから」「ズブの素人の学生にも」「作ることが出来た」その言葉は、取りようによっては、「やろうと思えば誰にでも出来ることだった」ときこえる。
果たしてそうだったのか?
あのときの登場人物は自分でなくても同じ結果になったのだろうか?
いや、そうではないはずだ。
そういう思いが伊藤の胸中を行き来した。

ここで、伊藤氏が言った「簡単」という言葉は「特に問題なく誰でも出来るようなことだった」という意味ではない!ということだ。
そりゃ、筆者の気持ちは分かるのだが、このことをわざわざ本書に書いていること自体が、もう全然客観的じゃない。言葉を文字通りに受け取る輩は、所詮その程度の輩なのだから放っておけばいいのだ。
他にも、あとがきで、「プロジェクトX」から話が来ていたが、結局NHK側から連絡が来なくなり撮影は頓挫した、といった内容まで書かれている。
筆者は現在、GRAPEプロジェクトに関わっていた頃とは違う分野で研究を行っている。それでもなお若干未練というか過去の栄光を引きずっていたのだと思う。それらの過去を吹っ切って、新たな分野に集中するために書かれたのが本書なのではないのだろうか。

別の側面

一研究者の立場から書かれた本書とはまた別の側面から書かれた同プロジェクトに関する著書がこちらである。こちらはプロジェクトの担当教授の著書である。

amazonの新品在庫はないみたいなのでちょっと高くなっているが、図書館とか行けばあるかもしれない。