「ゲドを読む。」

これは売っている本ではなく、「ゲド戦記」のDVD販促品として書店の店頭に置かれている本です。販促品なので、もちろんただで入手できますが、逆に言えばamazonなどでは買えません。

見たくなる、より、読みたくなる

何気なく手にとってかばんに入れ、持ち帰ってから読み始めたのですが、「フリーペーパー的なものかな」という想像を軽く超えていた。これは作品ですよ。
200ページ弱の本作品に、映画の太鼓もち的な文章は一切無く、中沢新一氏による「『ゲド戦記』の愉しみ方」につづき、過去の「ゲド戦記」に関する記事やインタビューなどをまとめたものに、。それらは甘くない文体、しっかりとした考えの持ち主の記事ばかりで、「ゲド戦記」そして原作者のル=グウィンの考えの深さをとつとつと語っています。
結論から言えば、映画を見たくなりました。
そして、映画を見る前に原作を読みたくなりました。それは、この本が「ゲド戦記」全体について語っているからです。原作は1970年前後に最初の3作、残りの3作は2000年前後に書かれている計6冊なのですが、今回の映画は3作目から4作目のところを新しく宮崎吾朗的に解釈したということなのです。まず頭からどっぷりとアースシーの世界に浸りたくなったわけです。
本作のメインともいえる中沢新一の解説はかなり良く、人類学者だけに、ユング老荘思想なども絡めて解説というか、作品のみならず作者ル=グウィンのことまでもを深く解析している。自分はそのような本を読んだことが無いので、ユングなども読み、あわせて考えることが出来たらよいだろうな、と思いました。
一つ、最近考えていることと本当にぴったり合うことを中沢氏が書いていたので、引用したい。

男性と女性は出会って愛し合うこともあるし、パートナーとして人生を歩むこともあるけれども、それは、お互いに足りない部分を補完し合い、ひとつの全体を作っていく、ということではない。そうではなくて、相手の持っているものを通して、自分自身が変わっていくことが重要だったのです。(p.40)

これは男女間の話ですが、人と出会って何かをやっていくこと、たとえば仕事のパートナーなどにおいても同じことが言えると思う。一緒にいることで補完しあうのではなく、お互いの内側を変えていく。それっていろんな場面で重要だよな、と思ったばかりでした。
このような中沢氏の解説だけでも良いのですが、ゲド戦記の日本語訳をなされた清水真砂子さんのインタビューなども良いです。原作を訳すときの苦労したポイントとか、映画化などに対する自身のスタンスとその理由などは深く心に染みます。
そこらのくだらない新書を買おうとしてレジ前に本作品が置いてあったら、新書をやめてこの本を是非。と言いたい。

本の威厳

本作を読み終わり、改めて、文字とか本のもつ力というか威厳は大きいなと思いました。
販促品としてこの本を出すことにした糸井重里とその周りの人たちをすごいと思う。これが映像特典的なDVDが、たとえタダで置いてあったとしても自分はとらないだろうと思うのです。もしかしたら内容がこの書籍と同じで、中沢新一氏のインタビューや各関係者のインタビューが入っていたとしても、だ。
映像化されたものに威厳を感じたことがあっただろうか、と考えざるを得ない。そしてその考えは、映像作品と文字の作品の決定的な違いを考えるに至るわけです。
たしかに、小津安二郎の作品などには何か文学的なものがあるように感じる。一方、くだらない雑文も多い*1
つまり、作風というよりも、作品をつくりだすときの気持ちのようなものではないだろうか。
映像は分かりやすく、作りやすい。それに比べたら文章を書くということははるかに難しい。そういうことにも起因するかもしれない。
本作には「ゲド戦記」から「心に染みることば」がたっぷりと載っている。どれもいいのだが、ちょっと気になったものを引用しておこう。

「人間にとっては、何かをすることのほうが何もしないでいることより、ずっと容易なんだ。わしらはいいことも悪いこともし続けるだろう。」
ゲド 『さいはての島へ』123頁

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ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)

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*1:このblogもそうだが・・