「四季 春」

(「人形式モナリザ Shape of Things Human (講談社文庫)」に)続けて、森博嗣の「四季 春 (講談社文庫)」を読んだ。
裏表紙の文句を見て、「すべてがFになる (講談社文庫)」などS&Mシリーズで出てきた真賀田四季のサイドストーリー的四部作の1作目だと知ったので、これは!と思い、購入していたのです。(なので、森博嗣作品を読んだことがない方は、是非「すべてがFになる」を読んでからこちらを読んでほしい。)

四季 春 (講談社文庫)

四季 春 (講談社文庫)

買ったときに想像してたよりも面白かった。
たまたま前に読んでいたのがVシリーズであり、そことも絡みがあるのがシリーズの読者としてニヤッとさせられた。森博嗣、意外にサービス精神がある。
この本では真賀田四季の天才っぷりが表現され、、、
されてないじゃん!なのに、何?この天才感は!?
というのが森マジックなんだろうな。
そこを面白いと思いながら読んでいた。
天才は常人には理解しがたい存在である。なので、天才をそのまま描写しても面白くなるわけがない。読者が一読して理解できるところと、理解できなくてもいいところのブレンドのバランスが絶妙でないと、天才は表現できない。逆に言えばそれさえできたら、具体的に天才的なことを何一つ言わせなくても天才と思わせることができるのではないのだろうか。
その答えがこの本にある、と思う。
四季の天才性を中心に持ってくるのではなく、同一性の問題と言うか、人間内部の感情とか思考の分離の表現をメインに持ってきたところがなかなかにくい演出で、サイドストーリーで読者が読みたいものを分かってる感じが、あー、森博嗣すげーや、と思う感覚につながるのだろうな。
もちろんそれだけではない。精神、思考の分離をどこまで破綻なく書けるか、理解させられるか。そのギリギリが表現されている。その中には文字だけで表現するメディアだから可能なトリック、そしてトラップがたくさんあるのだが。
あー、誰か天才的な映像作家、脚本家に映画化とかしてもらいたい。その前に「すべてがFになる」の映像化をしてもらいたいけど。

    • -

プログラミングに関して、普段思っていたことが、ある台詞で表現されていたので、それをメモとして引用させてもらって終わります。

「うん、とにかく、自分が思うとおりに動くってことかな。ミスも多いけれど、それはすべて自分の予測におけるミスだから、そこがまた面白いね。自分を見つめているようで」
「そう……。そのとおり。鏡のようでしょう?」